哲学の部屋

 「いまは辛くてもこんな辛い状況は、一生は続かない」

 と、自分自身を信じ込ませることのできる言葉を、ひたすら哲学書から探していた。

 ー『私の体を鞭打つ言葉』原田まりる著よりー

 

 私はそれまで、哲学書を呼んだり、尾崎豊を聴いたりして、自分だけの殻にこもった

 世界に意識を飛ばし、現実逃避を繰り返していた。

 しかし、現実逃避は何の意味も持たない。

 ー『私の体を鞭打つ言葉』原田まりる著よりー


 私は自分の足で生きていかなければいけないのだ。

 生きていくためのヒントを哲学書は教えてくれる。

 しかし、自分らしく生きるためのきっかけが詰まっているにすぎない。

 哲学書の教えを生かし、自ら「人生」という荒波に立ち向かっていかなくてはいけないのだ。

 ー『私の体を鞭打つ言葉』原田まりる著よりー


 幸せはかくも遠い存在で、苦痛はいつも身近にあって生々しい痛みで刺してくる。

 私が哲学書を読み、その教えによっていくら知識を蓄えても、

 行動に移さなければ、何の出口も見つけられないのだ。

 ー『私の体を鞭打つ言葉』原田まりる著よりー


 むしろ生きていくうえで「不条理な苦痛」は誰にでも起こり得るものであり、

 自身でどう立ち向かっていくかが、人生において重要な命題となり得るのだ。

 ー『私の体を鞭打つ言葉』原田まりる著よりー


 ならば、「代償」も「見返り」も存在しない「苦痛」や「逆境」に、

 我々はどう立ち向かって生きていけばよいのか。

 その解消法は一つしかない。

 起こってしまった苦痛を糧として、自分の未来を育てていくことである。

 ー『私の体を鞭打つ言葉』原田まりる著よりー


 「苦悩を乗り越えて新しい価値観を得た自分」を活かして残りの人生を送るしか、

 道はないのだ。

 ー『私の体を鞭打つ言葉』原田まりる著よりー


 生きていくうえで、自分からは一生、逃げられない。

 だから、いまの自分を見直し、新たな目標を見つけ、立て直していく。

 人生とは軌道修正の連続なのだ。

 ー『私の体を鞭打つ言葉』原田まりる著よりー


 ニーチェは欲望を押し殺さず、積極的に生きていくべきだと言った。

 キルケゴールは、自分にとっての真実が大切だと言った。

 ショーペンハウアーは、人生は苦痛で、感性こそが大切だと言った。

 三人共、生きることに対して向き合い考えた抜いた結果、自分なりの思想を持っていた。

 私にとって生きるとはどういうことなのか、私にもいつか自分なりの、

 誰かに断言できるような確立した思想を持てるのだろうか。

 ー『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』原田まりる著よりー


★若さ

 人という道徳を学ぶ時間がなく、また相談できる窓口もなくひたすら今を乗り切ることしか考えられない、それが”若さ”だとしたら、私には”若さ”に悩む人たちに教えられることが二つある。

 ひとつは、時は必ず傷を癒し、明日は必ず来るということ。長い人生の中のほんの数年に負けないでほしい。未成年でいるのはほんの一瞬で、自分で自分の人生を決められる日は、いつか必ず来るから。立ち向かわなくたっていい。逃げていいときもある。ただ、それは”自分”を殺すためでなく、いつか来るその日のための準備にあててほしい。説得できるだけの言葉と夢をもつことも大切かもしれない。

 そしてもうひとつは、人としてあるまじき行為をした場合、それは一生、自分についてまわる傷になるということ。言葉で言うのは簡単だけど、罪を罪と知るのは本当に苦しいことである。

ー『Helter Skelter』川村カオリ著よりー


★哲学する

「すでにあるものを鵜呑みにするのではなく、疑いを持ち、自分なりに考えてみる。

 それが哲学するということだ」

 ー『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』原田まりる著よりー


★「幸福」よりも「苦痛」は心に刺さりやすくできている

・「すべての満足や幸福は消極的な性格をもつ反面、苦痛は積極的性格をもっている」

 ー『孤独と人生』ショーペンハウアー著ー

・幸福というのは消極的な性質を持つ。

 対して、「苦痛」は積極的な性質を持ち得ている。

 言い換えれば、「幸福」は非常に感じとりにくいものであるが、

 「苦痛」は簡単に感じとることができるという意味がこの言葉には含まれている。

 ー『私の体を鞭打つ言葉』原田まりる著よりー

・普段、健康な状態において、

 「私は健康で幸せだなあ」

 と常々意識しながら生活することはなかなかない。

 しかし、少しでも熱がある場合においては、

 「あれ?風邪をひいたかな?」

 と即座に感じるように、「幸福」よりも「苦痛」は心に刺さりやすくできているのだ。

 ー『私の体を鞭打つ言葉』原田まりる著よりー

  

★永劫回帰

・「アリサ安心しろ、その辛いことは、乗り越えても、乗り越えても、

 必ずまた繰り返されるから」

 ー『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』原田まりる著よりー

・世界や人生には、決定的、絶対的な意味はなく、さまざまな苦悩も繰り返されると述べ、

 人生は「永劫回帰」としている。

 ー『私の体を鞭打つ言葉』原田まりる著よりー


★運命愛

・「そうか、私は最終的に”永劫回帰を受入れる”ことで道は開けるのではないかと考える。

 そして、この”永劫回帰を受入れる”ことを”運命愛”と呼んでいる」

 ー『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』原田まりる著よりー

・人それぞれ、生まれも違えば、能力も違う。

 そして、起こり得る出来事も違う中で、自分に降りかかる運命を嘆かずに受入れることを、

 ニーチェは「運命愛」と呼んだ。

 ー『私の体を鞭打つ言葉』原田まりる著よりー


★超人 

・「超人というのは、ひと言でいうと、永劫回帰を受け入れ、新しい価値を創造できる者だ」

 ー『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』原田まりる著よりー

・永劫回帰をニヒルにとらえ、”どうせ繰り返されるなら、生きているとか、だるい”と

 思わないことが重要になる。予期しない辛いことがあろうとも、自分の運命を愛するのだ。

 ー『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』原田まりる著よりー

・”人生は無意味だから、どうでもいいや”ではなく、”人生は無意味だから、自由に生きてやれ!”

 とただのニヒルではなく、積極的なニヒリストとして生きていけばいいのだ。

 それを極めるのが超人になるということだ

 ー『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』原田まりる著よりー


★働く

・「誰かのため」に何かをすることは必要だし、すべきだ。けれど、結果としてそれが

 「誰かのため」になったとしても、原動力は「自分のために、それをする」でなければならない。

 それがほんとうのところだし、それがあれば、マイナスのことが起きたときにも、

 ちょっとやそっとのことでは倒れない。

 ー『ココ・シャネルという生き方』山口路子ー

・受け取るよりは、与える方が、はるかに嬉しい。

 あたしが消費することのなかで一番好きなのは、あたしの力。

 ーココ・シャネルー


★生きるとはどういうことか?

・人間が「できること」を機械に譲り渡していくと、人間のすることはどんどん無くなっていきます。

 「モノのインターネット」がつくる理想社会って、みんな「ずーっと寝たきり」

 みたいな言なんでしょうか?寝たまんまで、頭の中であれこれ考えたらそれだけで

 ピピッと何かが反応して欲望を実現してくれると。

 で、それって生きてるってことなんですかね?

 ー『寂しい生活』稲垣えみ子著よりー

・つまり、家電のことを突き詰めて考えていくと、結局は「生きるとはどういうことなのか」

 という問題に突き当たってしまう。

 幸せとはなんなのか、豊かさとはなんなのか。

 ー『寂しい生活』稲垣えみ子著よりー


★人間が競争する生き物になった理由

 このように、私は自然が大好きだ。

 山に入ると鳥には鳥語、リスにはリス語で話しかける。

 海外でゴルフのプレー中でも、ゴルフをちょっと中断して、コース内にいる鳥に話しかける。「どこから来たの?」「いくつ?」「へえ、隣の町からか」「まだ四つか」などと勝手に話している。一緒にまわっている人は「会長、また、鳥と話しているよ」などと呆れているが、鳥の波長に合わせているから、鳥は決して私から離れない。

 大自然のなかを見渡してみると、ライオンはライオン同士、仲良く暮らしているし、マグロはマグロ同士で決して争ったりしない。

 サメと小魚も海のなかで一緒に泳いでいる。よほど、腹が減っていないかぎり、サメが小魚を食べようとしないことを知っているのだ。

 では、どうして、人間という生物だけ、お互いに争ったりするのだろう。

 人類が誕生した時代、人間同士は決して競争などしなかったし、まして、殺し合いなどすることもなかった。

 男は洞窟を出て、みんなで力を合わせて、マンモスなどと戦った。家族に食料をていきょうするためである。生きるため、食べるために、旅をしながら生きてきた。

 やがて、農耕文化がはじまり、人間は蓄えるという習慣を持ち、強者と弱者が生まれたが、それでも、人間同士の競争はなかった。

 人間が競争するようになったのは、身分や階級が生まれてからだと思う。国が生まれ、王が誕生するとそれに伴い、身分制度が誕生した。すると、そこに出世するという概念が発生し、人の上に立とうとする者同士が競争をはじめた。

 また、国同士の利害関係から、戦争が起こり、人間同士の殺し合いまではじまってしまったのだと思う。

 こうなってしまっては、もはや、人間は同じ生物の仲間であるライオンやマグロには戻れない。

 だから、せめて、あなたには自然界のしくみを見てほしいのだ。かつて、私たち人間は、長い間、自然界でほかの生物とともに生きていたのだから。

 人間の源をしっかりと把握する。こうした「感性」を磨くことが、あなたが他人に振りまわされない人生を送ることにつながるからである。

 ー『そんなこと、気にするな』桜井章一著よりー




原田 真吾

Earthrise社会保険労務士事務所 代表 / WorldShiftコミュニケーター /「地球を愛する 地球に愛される」をあいことばに地球一個分の暮らしと、それを実現するための働き方を目指し活動中!